2014年
6月
16

南京大虐殺はなかった③ 「安全区の国際委員会から感謝の書簡が日本軍に送られたほど治安が良かった」

日本軍は1213日に南京を占領し、歩兵第七連隊に安全区(難民区)の担当をさせました。

第七連隊長の伊佐大佐は、この安全区(難民区)の全ての出入口に歩哨を立てて、無用の者の出入を厳禁し、安全を確保しました

この国際委員会が管理する安全区(難民区)に、南京のすべての市民が居住していたので、安全区(難民区)が安泰ということは、当時の南京の全市民が安泰であったのです。

ですから、国際委員会のラーベ委員長は、次のような書簡を日本軍に送っています。

「拝啓 私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡を取り得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」

また、日本を憎悪していたとされるマギー牧師でさえ「安全区は難民たちの“天国”だったかもしれない」と述べています。

スミス博士の調査報告書の中でも「難民区内には火災もなく平穏であった」「住民のほとんどはここに集まっていた」と記されています。

日本に悪感情を持っていた第三国人でさえ、安全区(難民区)内の平穏な生活や、日本兵の親切な行為に感謝しているので、「虐殺・暴行・掠奪・強姦など悪魔の狂宴は6週間にわたって続いた」(東京裁判)などということは、全くなかったと言えます

「南京大虐殺」は、東京裁判において、日本をヒトラーに比肩されるほどの悪役に仕立て、戦勝国が一方的に敗戦国を裁くためにつくり上げられた虚構なのです

 

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