脱原発論者は「原発は危険だ」と主張しますが、脱原発も危険であることを知らないのでしょうか。
有名な話ですが、「1TWh当りの発電方法別の死亡者数」という統計があります。
1TWhの発電をするために、化石燃料は21人の方が亡くなってしまうのですが、原子力だと0.03人です。原子力は化石燃料の700倍安全なのです。
というのは、いろいろな原因があるのですが、化石燃料による発電は「大気汚染」を伴うからです。脱原発を主張する方は、放射線による健康被害を訴えていますが、大気汚染が原因の致死的な呼吸器系の病気(ひどい喘息、肺癌など)は、大変な苦痛を伴う死に方と言われています。そして、その数は放射線で亡くなる方よりも、圧倒的に多いのです。
これを日本に当てはめると、「原子力ゼロ」にした場合、大気汚染が原因で死亡する日本人は年間3000人ぐらい増えるのです。原発をなくすことでリスクが増すことを脱原発論者は知っているのでしょうか。
ちなみに、「原子力を無くして、再生可能エネルギー(太陽光や風力など)にすれば良い」という議論もありますが、再生可能エネルギーで原子力の発電量を賄うことはできないことは「エネルギー保存則」などから明らかなのです。(脱原発論者や小泉元首相は認めたくないと思いますが)
さらに「エネルギーがいらない社会にすれば良いではないか」という議論もあります。しかし、人類は大量エネルギー消費社会をやめることはできないのです。大量エネルギーの消費なしで、世界人類は生きていくことができないような社会になっているのです。ですから、エネルギーをなくすことは、世界の人口の何割かがすぐに死滅することになるのです。「エネルギーがいらない」とか、「たかが電気」と言われる方は、私は無責任の極みだといつも感じています。
もう一つ付け加えると、「地球温暖化CO2問題」を標榜する環境保護者は、たいてい脱原発論者なのですが、大変な矛盾を感じませんか。この二つは両立しません。脱原発は、どうしたって化石燃料による火力に頼らざるを得ないのですが、そうすれば環境保護者が心配していたCO2問題は、どうするのでしょうか。口をつぐんでいる人があまりにも多い。
しかし、良識を持った人もいます。それは映画『パンドラの約束』(原発は必要という映画)をつくったロバート・ストーン監督です。監督はもともと原子力反対論者でした。その監督が次のように述べています。
「再生可能エネルギーが、それ単独では決して化石燃料に代わることはできず、化石燃料を燃やし続けることが我々を恐ろしいスピードで気候崩壊へと向かわせていると気づいたとき、私は原子力エネルギーについて考え方を変えました」
監督は地球環境、温暖化を考えたとき、原子力が唯一の手段であると気づいたとのことです。
私たちは、CO2増加が地球温暖化の原因という論に対しては、一定の距離を取っていますが、ストーン監督の態度には敬意を表します。筋が通っているからです。
今回は、少し長い文になりました。言いたいことをまとめると、「脱原発は化石燃料による火力に頼らざるを得ず、その結果、大気汚染を誘発させ、死亡者が確実に増えるということは、科学的に証明されています。この事実を脱原発論者は、どのように説明するのでしょうか。やはり原発は必要なのです」ということです。