8月下旬、オバマ大統領が、化学兵器を使用したシリア・アサド政権に対し「レッドラインを超えた」として限定的な攻撃実行を表明したことは、記憶に新しいと思います。
しかし、その後、シリア攻撃に対する米国民世論の反発が強まり、さらに、米国と同調していたイギリス、ドイツ、イタリアなどが脱落していきました。
ここからオバマ大統領の迷走が始まります。
あろうことか、シリア攻撃を、大統領権限で即決せず、議会の承認を取り付けようとしました。スーザン・ライス補佐官は「否決されたらどうするのですか」と食ってかかったようです。なぜなら、議会が否決した影響で大統領の前言を撤回したら、軍の最高司令官を兼ねる大統領の権威が失墜するからです。まあ、オバマ大統領自身がシリア攻撃を迷っており、自信がなかったのでしょう。
この振り上げた拳(こぶし)を、どうするか困っているときに、ロシアのプーチン大統領が助け舟を出します。(ロシアは別の思惑があるのですが)
ロシアは、シリアの化学兵器を国際管理下に置いて廃棄するようにアサド政権に提案をしました。これをアサド大統領は受け入れると表明。オバマ大統領も、ロシアの提案を評価し、相乗りしてきました。
これで一件落着とはいきません。この過程で、アメリカ大統領の威信に傷がついたのです。
一連のオバマ大統領の優柔不断さが、アメリカの同盟国に危機感を抱かせました。
中東の親米国であるサウジアラビア、イランの核開発で危機感を持っているイスラエル、そして、アジアの日本、韓国、台湾、フィリピンなどが、いざという時に、本当にアメリカが本気で助けに来てくれるのかという不信感を持たざるを得なくなったのです。
さらに、私が危惧するのは、自由主義、民主主義という統治形態の信用が落ちていくということです。
自由で民主的な政治というのは、人類が長年培ってきた英知の集積で成り立っています。特にアメリカという国は、民主主義という“コスト”と“時間”のかかる非効率なシステムを採用しながら、強いリーダーシップを持つ大統領が「決められる」政治を行っていきました。
これは、ローマ時代の共和制と帝政を兼ね備えたような、優れた統治システムだと、私は思っています。
オバマ大統領の体たらくは、中国などの一党独裁国家に「自由や民主主義よりも、独裁・統制の方がよい政治だ」との口実を与え、さらに、最近の政府機関閉鎖とデフォルト危機で、一般大衆の間に、独裁者待望の気運をつくってしまいかねません。
オバマ大統領には、自由主義、民主主義の守護神として、決然としたリーダーシップを発揮し、世界のリーダー国家としての使命を少しでも長く果たしていただきたいと願っています。
その間に、日本は自由と民主主義を守る次期リーダーとしての準備を着々と進めていかねばなりません。