幸福実現党は河野談話撤回の署名活動を行っています。
そもそも、従軍慰安婦問題は何から始まったのでしょうか。それは、1983年に吉田清治著「私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行」という本が出版されたことがキッカケです。
ここを理解しないと署名活動にも力が入らないと思いますので、復習の意味でおさらいします。
吉田の著書の「まえがき」に、「私は朝鮮人に対して『ドレイ狩り』を、臣道報国、滅私報国の日本精神による愛国心をもって行ったのである」と述べられています。本文では書くことが憚られるような、生々しい表現を使っています。
この捏造本を出版した直後の吉田は、韓国まで出向いて謝罪を繰り返し、謝罪碑まで建てました。とんでもない売国奴です。
それからじわじわと自虐メディアである朝日新聞などが、検証もせずに無条件で信じ始め、大々的に報道したのです。なんと情けないことに、従軍慰安婦問題は日本発だったのです。
結局、吉田証言は捏造でありました。多くの研究者によって否定されているにもかかわらず、今でも米国議会下院での決議案などの根拠に使われたり、韓国国民の従軍慰安婦のイメージとして刷り込まれています。
ですから、この吉田の捏造である「ドレイ狩り」から来る「セックス・スレイブ」という誤解を、何とか消し込まなければなりません。
今回は吉田証言がウソであることの根拠を述べます。
慰安婦問題に関心を持っていた秦郁彦拓殖大学教授(当時)が、1992年に韓国の済州島(吉田が「ドレイ狩り」をしたという場所)へ行って吉田証言の真偽を検証しました。
そこで秦教授が発見したことは、韓国の済州島の地元紙である「済州新聞」(1989年8月14日付)に掲載された許栄善記者(女性)による署名記事でした。
許記者が現地で取材を行い「島民はでたらめだと一蹴している」「裏付けの証言がなく波紋を投げかけている」と書きました。記事の一部を抜粋します。
「この本(吉田の捏造本)に記録されている城山浦の貝ボタン工場で15名から16名を強制徴発したということや、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦事件の話は、これに関する証言がほとんどない。彼らはあり得ないことと一蹴しており、この記録の信憑性に対する強い疑いを投げかけている。城山里の住民のチョン・オクタンさん(85)は『そんなことはない。250余の家しかない村落で15人も徴用されたとすればどのくらい大事件であるか…当時そんなことはなかった』と断言した」
その許記者と秦教授は面談し「『何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか』と逆に質問されて困った」と述懐しています。
また、秦教授は、城山里の貝ボタン組合をしていた老人などと面談されたようで、誰からも吉田証言を裏付ける話は得られなかったとのことです。
また、済州島出身、左翼知識人で在日朝鮮人である高峻石氏は「吉田の言うような日本軍による慰安婦狩りなどなかった。自分の村でも慰安婦は出ている。自分の親戚にあたる未亡人が、村の娘ら何人かを中国に連れて行って慰安所を開き大金をもうけて話題になり、村から別の娘たちもその慰安所に出稼ぎに行った。当時の済州島でも貧しさで身売りする娘が珍しくなかったのに、なぜ、軍がわざわざ慰安婦狩りをする必要があるのか。もしそんなことがあれば、噂はすぐに広まったはずだが、聞いたことがない」と証言しています。
さらに、吉田証言によると慰安婦狩りの命令が、西部軍→山口県知事→下関警察署長→労務報国会下関支部動員部長という系統で下りてきたとされていますが、関係者は「あり得ない」と指摘しています。
吉田証言が嘘であると追及されたり、テレビや新聞で公開討論されていくにつれ、吉田の嘘が広く知れ渡るようになりました。そして、あの朝日新聞でさえ吉田証言を信頼しなくなり、吉田は表舞台から消えました。(朝日新聞は、誤報であることを謝罪していません)
しかし、韓国では今でも吉田証言がゾンビのように復活しています。そして日本が反論せずに謝り続けた結果、韓国の戦後世代は吉田証言を事実と信じています。
「日本の誇りを取り戻す」ためには、従軍慰安婦が嘘だったことを言い続けなければなりません。間違った歴史認識をそのままにすることは日韓両国にとって不幸です。
安倍政権には、河野談話を踏襲するのではなく、河野談話を撤回し、事実に基づいてしっかりと反論することを求めます。