集団的自衛権をめぐって、国会で議論されています。
今まで、歴代内閣(内閣法制局)が「日本国憲法のもとでは集団的自衛権の行使は認められない」としてきましたが、安倍政権はこの憲法解釈を改めようとしています。
しかし、反対勢力は、今までの集団的自衛権の憲法解釈を維持しようと躍起です。「ここを潰しておけば、憲法九条の改正にまで入れない」と考えているのでしょう。
本当に、同盟国が攻撃を受けているときに、何もしないでよいのでしょうか。
例えば、尖閣諸島近海で紛争が起きたとき、アメリカ軍が中国と交戦状態に入ったとして、「日本は自軍が攻撃されれば防衛できるが、アメリカ軍が攻撃されたときには防衛できない」となれば、これは軍事同盟として機能しているとは言えず、「日米安保条約」を破棄されてもしかたがありません。
また、シーレーンを護るためには台湾は非常に大事な場所です。その台湾が一方的に攻撃を受けた場合、米軍の空母が出動し、中国本土からミサイル攻撃がなされたら、日本はどうすべきでしょうか。もし、中国が台湾を占領し、要塞化したならば、日本のタンカーなどの艦船が、あの近辺を通れなくなり、石油が日本に入ってこなくなります。これは大変な事態となります。
最近の緊迫した国際情勢の中で、このような事態に対して、しっかりと対策を講じることが政治家の仕事です。このような想定を考えていない政治家は、失格でしょう。
そもそも「集団的自衛権の行使は認められない」という憲法解釈も、一つの解釈であって、憲法に明記されているわけではないはずです。
本来は、憲法を改正すべきでしょうが、北朝鮮や中国の危機に対処するために、緊急避難措置として、憲法解釈を変更することはあり得ると考えます。
私は、「憲法守って、国滅ぶ」という事態となって、日本が北朝鮮や中国の属国になることは死んでも嫌です。そうなったら自由が無くなりますから、抵抗するか、亡命も考えます。
憲法や法律は、国民を幸福にするために存在しています。集団的自衛権の解釈変更に反対する方々は、筋が通っているように見えますが、その実、国民を不幸へと誘っている恐れがあるのではないでしょうか。「国民の幸福」という本筋を見極めるべきです。