中国が言っているように、30万人や40万人もの南京市民を虐殺したら、日本軍が入城した12月13日以降は、南京市の人口は皆無になるでしょうし、そのような恐ろしい場所に、避難民が戻ってくることはあり得ないでしょう。ところが、実際には占領直後から南京市の人口は急速に増加していたのです。
まず、南京安全区国際委員会は、難民に食糧を供給するために、人口の把握が必要でした。
12月13日に日本軍が南京に入城。その後、国際委員会の公文書において、12月17日、21日、27日には、それぞれ20万人と記しています。翌年の1月14日になると25万人と増えています。以後、2月10日まで25万人です。
これは、南京の治安が急速に回復し、近隣に避難していた市民が帰還しはじめたことを意味しています。
東京裁判では、日本軍が南京占領後、虐殺、暴行、掠奪、強姦など悪魔の狂宴は6週間続いたとされていますが、そんなことはあり得ません。そんな地獄のような恐ろしいところに、市民が好き好んで帰還するはずがありません。
さらに5月31日に南京市の五つの地区の役所で登録された住民は27万7千人であると報告されています。
つまり、南京占領直後の12月中旬は、多くて20万人の人口が、翌年の3月末には25万~27人、5月末には27万7千人に増え続けているのです。
松井大将の占領一週間後の日記に「市民も少しずつ帰還している」とあります。
ところが、東京裁判では占領から一週間後に、日本軍の虐殺が最高のピークに達したとあります。「日本兵は集団をなして、人を見れば射殺し、女を見れば強姦し、掠奪、放火は勝手次第、屍体はいたる所に累々と山をなし、血は川をなし、阿鼻叫喚の地獄絵さながらの状態であった」とされています。
しかしながら、そのような恐怖に満ちた南京市にどうして難民が続々と帰還してくることがあるでしょうか。
ちなみに朝日新聞は12月20日付の朝刊で「甦る平和都市南京」と題する写真特集を掲載し、その中で「皇軍に保護される避難民の群れ」と題して、200~300人ほどの難民が列をなして帰還している風景の写真を載せています。
中国が発表しているような、30万~40万人もの虐殺があり、屍累々の恐怖の南京市に、避難民が帰還することは絶対にあり得ません。
避難民が帰還し急速に人口が増加している事実は、南京市が極めて安全で治安がよかったことの証左です。つまり、南京大虐殺などなかったのです。