今の政治は、価値判断をせず、責任を取らない体質があります。これは政治に限らず、学問、さらに宗教界にもあります。このような状態が続けば、日本はあらゆるところで劣化し、衰退していくでしょう。なぜならば、正しさがわからなくなり、大義が立たないからです。大義がなければ、国民は烏合の衆となります。歴史的にも烏合の衆は、どこに向かうかが分からず、情熱も出てこないので、あまりにも弱い集団になり果てます。
この危機に対して、幸福実現党の大川隆法総裁は、5月11日の大阪城ホールでの講演会で、日本に必要なことを訴えました。極めて重要で本質的なことを述べております。以下、その一部を要約し、まとめましたので、ご一読ください。
●審議会制度の弊害
憲法には全く書かれていませんが、各種審議会が多用されています。これは中曽根元首相の臨調あたりから本格化してきたもので、小泉元首相の時も審議会がたくさんできました。そして、役所は自分の行政行為として決めるべきことを、委員をたくさん任命して審議会をつくり、その勧告に基づいて決定するように見せています。一見、民主主義的であり、裁判所の陪審員制度のようにも見えます。しかし、こうした審議会委員は、国民が選べない人たちなのです。役所の推薦で審議会委員は決まるので、役所が期待する結論になる人を選びます。つまり、自分たちは責任を取られないように、審議会に判断をさせて、行政行為としてイエスかノーかを決めているのです。もし行政裁判になり、役所が訴えられても、審議会の結論に基づいて行ったのだから、役所は責任を問われなくなるのです。このように、憲法上、全く予定されてない権力が発生しているのです。
●価値判断を回避する無責任体制
とにかく、誠実であるべきであり、責任回避をしてはいけません。責任回避とは、価値判断をしないことです。例えば、国際政治において、戦争が起きたら、「この戦争はどっちが正しいのか」という問いが当然出てきます。国際政治学という学問は、これに答えなければなりません。しかし、そのような判断が求められているにもかかわらず、判断から逃げるような学問となっているのです。「戦争には良い戦争も、悪い戦争もない」というように言うわけです。これで学問として成り立っていることになっています。これでは批評家、または評論家です。
このように、「責任が発生することは避ける」という判断を、実際に行っているのです。そういう意味で、学問もかなり崩壊が進んでいます。政治的にも、マスコミが官僚化して、これが機能していないという民主主義の崩壊も起きています。
●神仏の正義にたった政治
やはり、「未来のあるべき姿は何か」という価値判断をしっかりと行わなければなりません。特に、神仏が願うような活動をすることが大切です。これを忘れたら、正義が立ちません。神仏の願いがなければ「何が正しく、何が間違っているのか」という価値判断ができません。国際政治、国内政治だけではなく、経済においてさえ、何が正しいのかが言えなくなってしまいます。神仏が存在し、神仏の基本的な教えがあって、それに則って政治や経済も進めていかなければいけないのです。
●神仏の心と一致する民主主義の確立を
ここにおいて政教分離があってはなりません。「神仏の言論を封じるなかれ」と言いたいのです。「神仏などいない。人間だけで決められる。数だけが勝負だ。人間の数が神の代わりであり、それが民主主義だ」と神仏を蔑ろにするなら、神仏は徹底的に人間に反省を迫ると思います。傲慢すぎるからです。人間が神の子、仏の子としての心を宿して、そして、良識的に良心的に話し合って決めているなら、その政治は信頼できます。しかし、「人間は神の子、仏の子だということを忘れ去って、数だけで決め、それが正義で未来はその方向に行くべきだ」と考えているなら、神仏は黙っていません。国民主権には「国民を構成している人間が、神仏から尊い命を与えられているから、多くの人間を護り、繁栄させる行為は、神仏の願いと一致するはずだ」という考えがあります。ですから、私も民主主義は認めています。そして、その方向に持っていきたいと思っています。最終的に「民主主義的な多数決が、神仏の心と一致しなければいけない」と思っているからです。
幸福実現党もそのためにつくられました。外国には、宗教政党がしっかりとあります。宗教がもとにあるからこそ、民主主義政治があるのです。しかし、GHQがつくった憲法によって、宗教がもとにあって民主主義政治があるという部分だけ入っていないのです。これは法が欠けている部分です。ここを何とかして入れていかねばならないのです。そして、世界にはびこる無神論・唯物論の国を終わりにしたいと心から思っています。人間よりも優れている神仏という存在を認めて、人間の間違いを正し、自分を日々正して、正しい方向に発展・繁栄を目指す国家をつくっていくことこそ、私たちの目指すべき未来でなければなりません。