昨日、中学校と高校の「学習指導要領解説書」に「竹島と尖閣諸島を日本の固有の領土と明記」することを下村文科相が発表したことは、ご存じのことと思います。
遅きに失した感はありますが、当然のことです。
ところが、領土教育は「政権の圧力」とか「時代遅れ」と一部のメディアが批判しています。
その論点を以下に列挙してみます。
- 大詰めを迎えている教科書の編集作業をしている教科書会社が戸惑っている。
- 編集のある担当者は「検定基準の改定で申請書類が大幅に増えたのに、この時期に解説書を改訂する必要があるのか」と嘆いている。
- 編集のある担当者は「今後は領土問題を子供たちに覚えさせる教科書作りが必要になる」とこぼした。
- ある女性教諭は「現場の教育にとっては圧力だと思う」と批判している。
- ある教諭は「教科書通りに竹島や尖閣諸島を固有の領土と教えなければならなくなるのは、教員の一人として苦しい」と訴えた。
- ある大学教授は「中国や韓国との関係が悪化するだけ。EUのように、国境の垣根を低くして友好関係を築くべきなのに時代遅れの発想だ」と話した。
- 中国の報道官は「日本側が苦心して策謀を巡らし、悪知恵をしぼり、誤った主張を手法を変えて宣言しても、釣魚島(尖閣諸島)が中国領という事実を変えることはできない」と批判した。
- 韓国外務省は駐韓日本大使に「とんでもない主張を悪意をもって盛り込んだことへの韓国政府の厳しい立場を伝える」と不快感を示した。
以上、東京新聞の報道の抜粋です。(東京新聞は朝日新聞よりもひどい)
東京新聞は、紙面のつくりから、領土教育に対して批判をしたいようですが、関係者のコメントで代弁させているだけです(批判するロジックが立たないのではないかと勘繰ってしまいます)。しかも、そのコメントが上記のようなものを意図的に選んでいるわけですから「情けない」の一言です。どこの国の新聞社なのでしょう。
このような報道姿勢の原因の一つに「国益」に対する考え方の違いがあります。
日本の国民には、GHQの自虐史観によって「国益を言うと恥ずかしい」と思うような気持ちが刷り込まれています。しかし、国益を言うことを「恥ずかしい」と思う気持ちは、やはり問題です。
世界の国々は、どのような国であっても、まず国益を考えます。そして、国益を考える国同士が、お互いに話し合い、利害の調整をしているので、交渉の際には、どの国も国益を考えて意見を言います。ところが、国益を考えていない国があると、交渉が完全にすれ違ってしまうのです。もしくは、一方的にやり込められて不利になり、場合によっては国民の生命、安全、財産が危険にさらされてしまいます。
国益を考えることは、独立国家として当たり前です。共産主義国から自由主義国まで、国益を考えていない国はありません。国民のために政治を行っているのですから、それは独立国家として当たり前のことなのです。
国益とは国民の利益のことであり、国益を考えることは、国民を幸福にすることなのです。
今回の領土教育に関連して、「国益は独立国家として当たり前」ということも、教育しなければならないと思いました。それは国民の幸福のためだからです。