現在、沖縄の名護市長選が行われており、間もなく東京都知事選が始まります。
名護市長選では、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題が争点となっています。また、都知事選では、「脱原発 争点に」と報道しているマスコミ(朝日新聞)もあります。
「国防」と「エネルギー」という、日本にとって極めて重要な案件が争点とされております。いや、されつつあります。
果たして、これで良いのでしょうか。
昨日、菅義偉官房長官は「原発政策は設置自治体を含めて国家全体として取り組むべき問題で、東京都だけで決める政策課題ではない」と指摘しました。これに対して「細川元首相、小泉元首相がタッグを組んで『脱原発』を掲げていることに、政府が焦っている」という報道がありました。
何が正しいのでしょうか。この問題の根本に「地方自治」に対する考え方の違いがあります。
辺野古への基地移設問題で、日本の首相や大臣が沖縄まで出かけて行って、頭を下げる構図が、しばしば報道されました。沖縄県の知事や市長の言動によって、日米安保からアジア戦略まで、外交面でそうとう揺さぶられました。これは異常な状態と言えます。
原発問題もそうです。東京都知事選で、故意に「原発」を争点化し、その結果いかんによって、日本経済や国民生活が破壊される恐れがある事案であるならば、東京都民だけで決定するのは不公平です。東京都以外の国民にも発言権があって然るべきでしょう。
国民の生命や安全、財産の損害等にかかわるようなことがあれば、地方自治体には国家レベルの判断に従う義務があります。
地方の首長に日本全体の命運を託す理由はありませんし、それは越権行為と言えるでしょう。自分の生命や安全、財産を東京都知事や名護市長によって左右されるならば、都知事や名護市長を選ぶ権利を、日本国民全員が保有しなければおかしいでしょう。
このような混乱の原因には、国家というものを否定する考え方があります。左翼勢力は、国家を敵視しますので、「地球市民」という大きな単位か、「地方自治」という矮小化した単位で、物事を考えようとします。ゆえに、一国の首相よりも、地方自治体の首長が力を持つことを喝采するのです。しかし、行きつく先は、国家解体となります。つまり、日本の弱体化です。
ですから、国家というものを肯定し、国民全体にかかわることは国家が責任を持って対処しなければなりません。これが普通の国のかたちなのです。地域主権のような考え方が国政をリードしてはならないのです。
「地方自治は尊重するが、国家への責務を忘れてはならない」ということです。国家がまとまって行動するときには、それに協力する姿勢が大事なのです。